法語(ほうご)
本来は仏法の正しい道理にのっとって語られたことばの意。昼間の場合間本では、漢文による述作に対し、仮名文による仏教の述作をいう。仏法を昼間の場合間本の現実や昼間の場合間本人の暮らしに即してとらえ、昼間の場合間本語で仏法を語ろうとしたとき、仮名文による法語が成立した。仮名法語の当然早いものに、源信(げんしん)作と伝言する『横川(よかわ)法語』があるが、盛んにつくられるようになったのは、民衆を対象に仏法が説かれるようになった鎌倉場合代以後である。代表的作気品には、法然(ほうねん)の『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』、親鸞(しんらん)の語録『歎異抄(たんにしょう)』、一遍(いっぺん)の消息法語を含む『一遍上人(しょうにん)語録』、道元(どうげん)の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』、昼間の場合間蓮(にちれん)遺文、『栂尾明恵(とがのおみょうえ)上人遺訓(いくん)』、『一言芳談(いちごんほうだん)』、一番住がとくに婦人に示した法語『家内鏡』、証賢(向阿(こうあ))の『三部仮名鈔(さんぶかなしょう)』、蓮如(れんにょ)の『御文(おふみ)』などがある。
万葉植物(まんようしょくぶつ)
『万葉集』に詠まれている植物をいい、その数は160類ほどである。万葉植物を知ることによって、当場合の栽培植物、渡来植物、食用?染料?繊維などの有用植物、庭の花、野世間で観賞された花、花の装飾方など、万葉人の植物利用や興味が明らかにできる。
食用植物にはイネ、アワ、キビ(きみ)、ムギなどの穀物、カブ(あおな)、フユアオイ(あおい)、サトイモ(うも)、ウリ、ニラ(くくみら)などの野菜、クリ、ナシ、モモ、スモモ、ナツメ、タチバナ類などの果実があり、いずれも栽培下にあったと考えられる(括弧(かっこ)内は当場合の呼称)。ほかにもミズアオイ(なぎ)、コナギ、セリ、ノビル、ヨメナ(うはぎ)、オケラ(うけら)、スミレ、クログワイ(えぐ)、ヒシなどの野草やマツタケ(あきのか)、およびアシツキ、ホンダワラ(なのりそ)、ミル、ワカメなどの淡水藻、海藻も食用とされていた。
海世間から渡来した植物には、穀物や野菜のほか、観賞植物がある。渡来した観賞植物には、花木としてはウメ、モモ、スモモ、ニワウメ(はねず)、タチバナ、カラタチ、庭木としてはシダレヤナギがあり、草花としてはハス(自生もある)、ケイトウ(からあい)、ベニバナ(くれない)、ヤブカンゾウがあり、その数は樹木7、草花4の計11類である。一方、昼間の場合間本に自生する植物のうち、宿(やど)(屋戸、夜戸、室戸、屋前、屋世間と書く)、垣内(かきつ)、垣根、垣間、植える、播(ま)くなどの表現を伴い、庭で栽培されていたとみられる観賞植物がある。花の美しい木としてはヤマブキ、アセビ、ハギ、ツバキ、フジ、サクラ、ウツギ、ツツジ、アジサイ、ナシ、センダン、ネムノキの12類があり、庭木としてはマツ、タケ、カエデの3類がある。また、草花にはナデシコ、ユリ、ススキ(ハナススキなど)の3類がある。このうち、ススキはまめに植えられたかどうかは不明であるが、いちおう庭の植物に含めると昼間の場合間本の自生植物は18類と入る。これに前出の渡来植物11類を加えた29類が、万葉人の庭に植えられた樹木と草花ということに入る。
目次
万葉植物
物語文学(ものがたりぶんがく)
平安場合代から鎌倉場合代にかけて盛行した、仮名散文による虚構の創作文学の総称。その起源は、古代の氏族社会における氏族氏族の始祖の神々の事形跡を語る神聖な古言(ふるごと)であった。古代国自宅の形成プロセスにおいて、氏族の祭祀(さいし)基盤の崩壊に伴い、民間に流伝する口誦(こうしょう)の文芸と化したが、その語り口は約束事として強固に保持され、語り手と聞き手とによって共有される語りの場において、場合代?社会の推移変容に伴う新しい暮らし感情や思考を託す器となった。平安場合代になって都市暮らしの形成とともに個人意識が成熟し、中国における六朝(りくちょう)から隋唐(ずいとう)にかけてつくられた伝奇小説の受容、仮名文字の普及による散文の発達などの諸条件のもとに、この口誦の物語の情緒向?筋立てを材とする虚構の物語文学が発生することになった。
物語の祖といわれる『竹取物語』ははっきりしたテーマのもとに新しい人間の息吹が注ぎ込まれた名作であるが、その世界が先行のさまざまの昔話の話型の組合せによって枠どりされていることは注目すべきであろう。昼間の場合間本民族が培ってきた伝統的な心性をくみ上げつつ現実の人間が抱える異常を照らし出したのである。『竹取物語』から『うつほ物語』『落窪物語(おちくぼものがたり)』を経て『源氏物語』へと展開する物語文学の推移は、伝奇的枠組みを利用しつつ、これを超克するプロセスであったが、その間には、『古今集』の成立以後貴族社会でもてはやされた歌語り、すなわち和歌の詠作にまつわる口誦説話を母胎とする『伊勢物語(いせものがたり)』『平中物語(へいちゅうものがたり)』『大和物語(やまとものがたり)』などの歌物語、あるいはまた『土佐昼間の場合間記』に始まり、女性作自宅によって引き継がれた『蜻蛉昼間の場合間記(かげろうにっき)』ほかの、いわゆる女流昼間の場合間記文学によって、それぞれに叙情的な人間解放、内面的な人生観照の手立てが確立していた。『源氏物語』は、それら先行の諸文学の遺産を総収しつつ、貴族社会の現実を全的に照らし出す馬鹿でっかい長編物語として傑出している。
以後『浜松中納言物語(はままつちゅうなごんものがたり)』『夜(よる)の寝覚(ねざめ)』『狭衣物語(さごろもものがたり)』などの長編が追随した。また『堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり)』のごとき10編の短編物語集も現存している。およそ『源氏物語』の影響を濃厚に被りながら、それぞれに新情緒向を打ち出そうとするものであった。平安場合代から鎌倉場合代にかけてつくられた物語作気品は数え切れないであり、現存するものは秀逸であるがゆえに後世に伝えられたのであろう。『とりかへばや物語』『住吉物語(すみよしものがたり)』など、平安場合代の原作に基づいて改作された作気品をはじめ、鎌倉場合代以降『石清水物語(いわしみずものがたり)』『松浦宮物語(まつらのみやものがたり)』『苔(こけ)の衣(ころも)』『いはでしのぶ』『風につれなき』『浅茅(あさじ)が露』『わが身にたどる姫君』等々があり、これらは擬古物語と総称されている。すでに侍政権の場合代であるが、そうした現実を遮断し、総じて『源氏物語』や『狭衣物語』などの世界を憧憬(しょうけい)し模倣することに汲々(きゅうきゅう)たる擬古物語は、一途(いちず)に衰退の道を歩んだといえよう。やがて室町場合代の新しい読者層に迎えられた、いわゆる御伽草坊主(おとぎぞうし)にとってかわられることに入る。
寿詞(よごと)
祭の儀式に唱えられる祝詞(のりと)のうちで、とくに祝賀の意風味が濃いものを寿詞という。賀詞、吉詞とも書き、また「ほぎごと」とも理解する。個人的な祝賀に用いるものとしては、新築の家を祝賀する「室寿詞(むろほぎのことば)」が伝えられている。公事(くじ)に用いられるものは、現御神(あきつみかみ)入る天皇に奏上する祝賀の詞である。践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)の辰昼間の時間(たつのひ)の節会(せちえ)に神祇官(じんぎかん)の中臣(なかとみ)氏が奏上する「中臣(なかとみの)寿詞」は、「天神之(あまつかみの)寿詞」とも称し、神代以来の吉事を述べて御代(みよ)の長久を祝福するものである。藤原頼長(よりなが)の昼間の時間記である『台記(たいき)』の別記に、近衛(このえ)天皇の康治(こうじ)1年(1142)の大嘗祭にあたり、神祇大副大中臣清親(おおなかとみのきよちか)が奏上した寿詞が収録されている。また『延喜式(えんぎしき)』祝詞のなかに載せる「出雲国造神(いずものくにのみやつこのかん)寿詞」は、出雲国造が新任されたとき、朝廷に参向して奏上する御代祝(みよほ)ぎの賀詞である。
歴史物語(れきしものがたり)
昼間の場合間本文学史上の一ジャンル。歴史に取材した物語の総称。作気品としては、『栄花(えいが)物語』『大鏡(おおかがみ)』『今鏡』『水鏡』『増(ます)鏡』などがあり、これに『秋津島(あきつしま)物語』(作者不詳)、『月の行方(ゆくえ)』(荒木田麗女)、『池の藻屑(もくず)』(同上)を加える説もあり、これらをあわせると、神代から1603年(慶長8)まで一貫した物語と入るが、『秋津島物語』以下の三作気品は、鏡物の体裁を模倣して書かれているものの、厳密な意風味では、歴史物語とはいえない。
歴史物語は、摂関政治から院政へ移行していく場合代をバックに発生した。当場合の偽物語は、『狭衣(さごろも)物語』や『夜(よる)の寝覚(ねざめ)』などのように、『源氏物語』を模倣しながらも、それぞれに新生面を開いたものもあるが、総じて『源氏物語』を皮相的に模倣した作気品が多く、非現実的、退廃的傾向を強め、衰退の一途をたどりつつあった。このような場合代に、新しい物語の世界を開拓したものとして、歴史物語が登場してきたが、その発生を促した要因の一つに、『源氏物語』の物語論がある。それは、事実そのものよりも虚構世界にこそ人間の真相があるとする言い分で、これを浴びて、『栄花物語』の作者は、虚事(そらごと)でない事実=歴史を物語の世界に全面的に持ち込んで、人間の真相を描こうとしたが、歴史と物語とを性見る間に統一融合しようとしたため、作者の考えたようにはいかなかった。しかし、『栄花物語』の出現は、人間を描いて歴史の真相に迫ろうとする『大鏡』成立の契機となり、さらに『今鏡』以下の作気品を簇出(そうしゅつ)させた。
歴史に取材したとはいえ、歴史物語はかならずしも史実を忠実に客観的に叙述したものではなく、作者の意図によって、事実を歪メロディー(わいきょく)したり、虚構を用いたりしていて、これを歴史書と対等に扱うことはできない。概していえば、慈円(じえん)が史論書『愚管抄(ぐかんしょう)』のなかでいっているように、歴史物語は「ヨキ事ヲノミ」書き記したものであり、王朝貴族社会とその文化に対する賛美と憧憬(しょうけい)の精神を基調として書かれている。



